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妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.1.12

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  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第三十二

 読者よ。村上までも妾(わらわ)を疑い、殺すつもりで突き落としたものと思っている。特によろめく際に妾の身に取り付き、妾の衣類から証拠の品を掴み取ったとは、返す返すも理解が出来ない。これには何か間違いがあるに違いない。妾は行いに罪はあっても、我が心には罪がなければこそ、今迄おめず臆せずに判事の前にも出ていたのだ。

 村上まで妾の心を罪深いと疑うからは、世界中に妾を疑わない人は一人もいないだろう。好し好し疑うなら疑え、妾はか弱い女ではあるが疑いを受けたままではおめおめと逃げ隠れていられようか。今迄逃げ隠れていたのは妾の心が弱いためだ。濡れない先から露をも嫌い、早や村上にまで疑われ、新聞には殺人嬢と書き立てられる程となったからには、妾の身には名誉もない。恥もない。世間で何と言われようとも、今迄の罪を残らず言い開き、法律に触るとならば罰も受けよう。牢にも入ろう。

 妾は唯我が心に罪がないことを知らせれば好い。疑われたままで泣き寝入りする事があるだろうか。
 読者よ。妾は唯村上の手紙を読んだだけに、我が心に破れかぶれの奮発を引き起こした。病気の身も忘れ、ベッドから立ち降りて、これから判事の許へ訴え出ようと廊下まで立ち出る折りしも、帰って来た看護婦、

 「オヤ、貴方は何処へいらっしゃいますか。唯今、判事さんが病人の見回りにお出でなさいました。起きていては病気が治ったものと認められ、直ぐ又牢の中に引き返されますから、サア、早くベッドの上で眠った振りをしていらっしゃい。イイエ、いけません。サア、お寝なさい。」
と無理に妾を部屋の中に引き返させようとする。

 (妾)ナニ、判事さんがお出でになっても構わないから、離しておくれ、私から判事さんの所に名乗って出るところだから。ナニ、判事を恐れる事はないと、振り放して行こうとしたが、悲しいかな体は病のために力は抜け、甲斐もなく引き返される。このような所に、
 「コレ、何をその様に騒ぐのだ、病人とも思われないが、」
と言いながら入って来たのは彼の村上に似た判事である。

 村上の手紙によりその兄であることが分かっているので、妾はそう思って良く見るといかにもその兄に間違いない。年こそ違うが容貌は争われない。
 (妾)「ハイ、もう病人ではありません。どうぞこのまま裁判所まで引き出して戴きましょう。」
と判事の傍に寄ろうとすると、判事はその後ろに従えた病院長に向かい何か囁くと見えたが、病院長は進み出て、

 「サア、病人か病人でないか、私が篤と見て進ぜる。」
と静かに妾をベッドに横たえ色々な道具を取り出して一通り診察したが、更に判事に向かって、
 「そうですね、病気は先ず治りましたが、まだ少しも力が回復しませんから、もう一週間もしなければ病院を出す事は出来ません。」

 一週間はさておいて、妾はもう一日もこの病院に留まる気はない。
 「イイエ、病気は治りました。何時までもこうしてはおれません。直ぐに裁判所に連れ出してお取調べを願います。判事様に申し上げる事がありますから。ハイ、今迄申し上げた事は皆偽りです。深谷賢之助の妻と言うのも嘘、お華と名乗ったのも偽りです。如何か直ぐにお取り調べを。」
と判事に向かって差し迫ると、判事は憐れみを帯びた目で、横に妾を見遣りながら、

 「ナニ、知って居るよ。」
と軽く頷いたのみ。早や立ち去る様子である。知っているとは何の事だろう。既にパリの警察まで問い合わせ、妾の本性を知っているということに違いない。
 「ご存知ならなおさら早やくお呼び出しを願います。」
 (判)ヨシヨシ、そのうちに呼び出すから。」
と短い言葉を残して廊下に出て立ち去った。後に看護婦は興ざめ顔で、

 「貴方はまあ何ということです。この病院へは二度と再び入れる所ではありません。牢に入るものは誰でも皆、病院に入りたい、入りたいと毎日のように病気の言い立てをしますけれど、よくよくの事では入れてくれません。一度入れば誰も牢に帰るのを嫌がるのに、貴方はご自分から病気が治ったなどと、その様な事がありますものか。明日にも呼び出しが来れば、如何します。」

 (妾)イイエ、そう言ってくれるのは有り難いが、お前はまだ訳を知らない。罪の無い身で疑いを受けてこうして病院にいるほど辛いものはありません。たとえ言い開きが立たずに死刑とやらを言い渡されるにもせよ、早く決まりが付かなければ、もう一日も辛抱が出来ない。お前には親身も及ばないお世話になったが、無罪になってこの恩を返される事か返されないか。それも分からない。もし返される時になったら、きっとそれだけのことはしますから。

 (婦)何の、私はこの病院に雇われている身です。看病するのが役目ですから、恩も何もありません。それでも貴方がこの様に美しくいらっしゃるのに、裁判所などに引き出されるかと思うと、それが私はお労(いたわ)しくて、一日でも永くお止め申したいと思います。望みない身の上にも、この様な慰めの言葉を聞くのは非常に有り難く思われるが、既にあれほどまで判事に言った事なので、明日には必ず呼び出される事だろうと妾はそれをのみ待っていたが、今日が過ぎ、明日が過ぎ、ついに一週間目に病院長ただ一人回って来て、十分に診察した末、
 「フム、これでもうすっかり元の体になった。直ぐに未決監に送り返すからその積りで。」
と言い捨てて立ち去った。

 妾はこの日のうちに直ぐに元の牢屋に送り返されたが、今は十分に決心した事なので、恐ろしくもない。唯この上は我が身に掛かる疑いを言い開くことが出来るようにとそればかりを神に祈ってここに一夜を明かしたが、翌日の午前十一時となり、判事から呼び出しがあった。

 アア、妾は我が罪を言い開く事が出来るだろうか。妾の身はどの様になっていくのだろう。妾自らこれを知らない。
 アア、読者よ、アア。

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