巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

warawa37

妾(わらは)の罪

黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2013.1.17

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(画面設定が1024×768の時、拡大率125%が見やすい)

  妾(わらは)の罪    涙香小史 訳   トシ 口語訳

                 第三十七

 妾(わらわ)は一通り村上が池に落ちた次第を述べ尽くすと、判事は驚きもせず怪しみもせず、非常に平気で聞き終わり、しばらく考えて、
 「貴方は当夜、どの様な服を着ていましたか。」
 何ゆえ服の事まで聞くのだろうと妾は少し不思議に思いながらも、
 「ハイ、夜に紛れて忍び出るためですから、黒地の絹繻子の上着で。」
 (判)それに付けた飾り物は。
 (妾)ハイ、着物がこの通りですから元より光るものは悪いだろうと思い、真珠の首飾りを着けたままで、ボタンなどもただ純金の極々地味な品でした。

 (判)その外には。
 (妾)ハイ、その他には腰より下に少しばかり紅宝石を縫い付けてありましたかと思いますが、その他に飾りと言う程の物はありません。
 (判)その純金のボタンというのはどの様な物です。何処と何処へ着けていましたか。
 (妾)ハイ、胸に着けたものが七個で、どれも母から譲られた品です。
 (判)それから。
 (妾)それから右左の手の先に一つづつ、これも矢張り母の形見で。

 (判)貴方は今でも見分けが付きますか。
 (妾)ハイ、付きますとも、幼い時から絶えず見ている品ですもの。
 (判)何処に見覚えがありますか。
 (妾)見覚えと言っても、胸のは黒くS の字が象嵌になり、手先のものは高くF の字が浮いています。
 (判)その様な文字付いた者は随分外にもありますか。
 (妾)ハイ、外にもありますが、母から贈られたのは昔形で少し小さい方です。余り類が有りません。

 (判)一つも類がないのですか。
 (妾)イヤ、一つも無い訳ではありません。胸のは母が若い時に、その妹と揃えて、二組拵え、一組づつ分けたと言う事ですから、又外に一組はあるでしょうが、それはその妹と言うのが久しい後に死んで、遠い親類の手に渡ったと申します。今は何処にあるのか分かりません。手先のものは母が結婚した時に、父がくれた物で、都合四個あります。その内の二つは今でも父が秘蔵していますし、残る二つが私の品となっているのです。

 (判)そうすると父御が同じボタンを持っているのですね。
 (妾)ハイ、二組拵えて母と一組づつ分けたのですから、今でも父が持って居る筈です。
 (判)その他には。
 (妾)その他には誰も持っていません。決して類が無いと思います。
 (判)そのボタンを貴方は如何しましたか。今でも持っているのですか。
 (妾(わらわ))ハイ、家を出ます時、一切の飾り物類をそれぞれ箱に入れて手提げの中に入れましたから、今でも手提げの中にあるはずです。
 (判)全くそれに違いありませんか。よく考えて仰らないと取り返しが付きません。

 判事はなぜこのの様に念を押すのか妾は理解ができず、ですが、なぜその様な事をお問いになるのですか。
 (判)イヤ、それはこちらに仔細の有ることです。貴方はそう問い返すに及びません。よく考えてお返事なさい。全く手提げの中に入れた覚えがありますか。

 覚えがありますかと押されては確かに覚えありとも言われず、妾は家を出ようとして手提げの中に詰めた時、唯心が慌てるままに手当たり次第入れただけで、一々検めては居ないので、多分入れたとは思うが、或いは間違い無しとも言われず、
 「ハイ、確かに入れた積りですが、確認したわけではありませんから、確かと言い切ることは出来ません。どうか一応アノ手提げを検めさせて戴きたいものです。」

 判事は心得て小使いを呼び、彼の品々を持って来るように命じた。 小使いが命に応じて、退いた後で、
 (判)貴方はSの字を付けたボタンも矢張り手提げの中に入れたと思いますか。
 (妾)ハイ、入れたと思います。
 答える折りしも、小使いは手提げを初め更に何やら風呂敷に包んだ品物を持って来て、判事の前のテーブルに置いた。判事は小使いが去るのを待ち、

 「サア、お検めなさい。」
と手提げを取り出して差し出す。妾は受け取ってこれを見ると、彼のサレスの裁判所で封をしたままにして、礼野先生もまだ開いていないと見えた。妾は鍵袋の中からその鍵を取り出し中を開いて検めると、胸のボタンも腕のボタンも箱のままに中にあった。
 「コレ、この通りです。」
とその箱を差し出すと、判事はこれを受け取ろうとせず、更に、
 「その箱の中を検めて御覧なさい。」

 妾は、
 「ハイ」
と言って先ず胸ボタンの箱を開くと、これは如何した事か。中には一個もボタンは無い。
 「オヤ、先生、盗まれました。」
 (判)イヤ、盗まれるはずはありません。この手提げは合鍵のあるような安物ではなし、他人が開くことは出来ません。裁判所で鍵を預かったけれど、裁判所の役人が盗みをするはずも無く、又裁判所へ渡す前は貴方が鍵を放さず持っていたのでしょう。

 (妾)ハイ、夜寝る時も離したことはありません。
 (判)それでは盗まれたのではなく、貴方が慌てたために全く空の箱を入れたのです。この箱の中にボタンが入っているものだと思い、そのまま手提げに詰め込んだけれど、実はその時からシテ既に空になっていたのでしょう。

 成るほど判事の言う通りである。妾はボタンを服から外し、この箱の中に入れた覚えは無い。ボタンはまだ当夜の服に付けたまま残って居るに違いない。それを打ち忘れて、箱だけ入れたとは愚かである。それにしても当夜の服は何処で脱いだろう。妾は病気が発したため、服を脱いだ事も覚えに無い。その時はすでに腰元にも暇を出した後のことことなので、きっと父か女中が脱がせてくれたものだろう。

 先生、全く思い違いでした。ボタンは今だ当夜の服に付けているはずです。私は服から外してこの箱に入れた覚えがありません。全く外さずに置いたのです。
 (判)「フム、そう事が分かれば好いのです。貴方が当夜着けていた着物は既に証拠の一つとしてこの裁判所に取り寄せてありますが。」
と言いながら風呂敷を開いて中から取り出したのは絹繻子の黒服である。

 全く妾が村上の家に忍んで行くために着たその服である。妾は病院で読んだ村上の手紙にもこの服の何処かに足りない一品があるだろうと記してあった事を記憶しているので、先ず身を差し伸べてその服を検めると、草の上に泣き伏したため、ところどころが非常に汚れているとは言え、別に不足している所があるとも思われず、胸のボタンさえ七つが七つながらSの字が付いて黄色く光っている。

 (判)着物もこれに違いはありませんか。
 (妾)ハイ、
 (判)ボタンもこれに相違ありませんか。
 (妾)ハイ
 判事は更に袖口の所を出し、ここにはボタンがありませんがこれは如何なさったのです。
 (妾)イイエ、その様な事はありません。
と言いながら袖口を手にとって見ると、これは如何した事か、彼のF字のボタンは無い。特に力を込めてもぎ取った様にボタン穴\さえ鍵型に破れている。さては、さては。

次(三十八)へ

a:977 t:1 y:0
 

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花