aamujyou76
噫無情(ああむじょう) (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
ビクトル・ユーゴ― 作 黒岩涙香 翻訳 トシ 口語訳
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噫無情 仏国 ユゴー先生作 日本 涙香小史 訳
七十六 異様な先客
此の下宿は既に読者が知って居る。曾て戎瓦戎が、手鳴田軍曹の許から少女小雪を引き取って、此の巴里へ連れて来て隠れて居た其の宿である。此の宿から彼れは蛇兵太に追われ、小雪と共に逃げて逃げて遂に尼院(あまでら)に入ったので有った。もう数年を経て居るから、其の頃とは多少様子も違い、番人も代わり、家の位も下がって、安宿同様の格と為って居る。
丁度守安が下宿した時、異様な先客が隣の一室を占めて居た。それは五十恰好の夫婦と、少々年頃の娘二人、都合四人の一家族で、外に男の子が一人、是は娘の弟だとやら言う事だけれど、外へ乞食に出、多くは軒下などに寝ると見え、一月に一度帰って来る事も有り、来ない事も有る。尤も偶(たま)に帰っても、母が意地悪で直ぐに追い出す程にするので、母の心よりも大通りの敷石の方が柔らかで温かいと言い、直ぐに外へ寝に行くのだ。
此の様な家族は何所の安宿にも珍しい訳では無いが、主人の様子が何だか薄気味悪い。彼は初めて来た時、入口の番人に向かい、
「若し誰かが、此の家に伊国(イタリア)人は居ないかと言って尋ねて来たら、それは私だよ。
又波国人(ポーランド人)はと言って尋ねて来ても私だよ。西班(スペイン)人はと言って来ても私だから。総て私へ取り次いでお呉れ。」
と言った。
一人の身が伊国(イタリア)人で有って波国(ポーランド)人で有って、西班(スペイン)人であるとは、余りに不思議では無いか。何う見ても正直に世を渡る人では無い。そうして言葉と容体とは全く此の国の人てある。
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