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白髪鬼
マリー・コレリ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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白髪鬼
(二十九)
姦夫ギドウ、姦婦ナイナ、この二人のうち、私はどちらを最も憎んだらいいか。ギドウが憎いのはこれ以上ないが、ナイナはギドウよりも憎い。ギドウは私の親友と言うだけだが、ナイナは実際、私の妻だ。神の前に立って私と生涯変わらぬ愛を誓った身で、結婚後わずか三ヶ月で他の男に情を寄せた。
その罪は、はるかにギドウに勝っている。ナイナの心がもし、清ければ、ギドウがどんなにナイナを誘惑しても情事をするまでには至らない。ナイナの心はすでに濁っていたので、よしんばギドウが居なかったとしてもナイナは必ず他の男を求めていただろう。ギドウの罪は四分で、ナイナの罪は六分だ。
いや、ギドウの罪は十分で、ナイナの罪は十二分だ。だから、私の復讐の真の目的はギドウよりもナイナにある。ギドウを十分に苦しめて、ナイナを十二分に苦しめるつもりだ。
私は始めから、このつもりだ。だから、ギドウがもし、私に対して少しでもハピョの死を哀れむような言葉を言い、ハピョを惜しむような気持ちを表したならば、私はいくらか彼の罪を許し、いくらか復讐の計画を変え、主としてナイナを厳しく責める気になったかも知れなかった。
だが、彼は私に会ってから、口を開けば、ハピョの悪口ばかりを言い、馬鹿者と言い、間抜けと罵(ののし)り、うすのろとあざける。第一、死んだ友を傷つける者は、たとえ、悪者でなくても、私は十分責めなければならないが、ましてや、私に人生委第一の侮辱を与え、その上、私の生前を完全に傷つけた。私は復讐の計画を一層厳しいものにするとも、決してゆるめるわけにはゆかない。
私は彼が立ち去った後で、一言一言彼が言った事を思い出し、今までひた隠しに隠していた心一杯の怒りは、あたかも蛇口の栓を開いたかのように一度にほとばしり出、眠ろうと思っても眠られず、明け方まで、ベッドの上でただ悔し涙にくれていただけだったが、五時の時計を聞いて、ようやく疲れて夢に入った。
夢はただ我が身が鬼となってギドウとナイナの喉笛にかみつくというような、恨みの有様を見るだけだったが、全身に寝汗をかき、うなされながら目を覚ましたときははや、朝の九時を過ぎていた。
大事を心にたくらむ者が、このように軽々しく怒ってはならないと思い、冷水で体を拭き、鏡に向かって自分の姿を落ち着け、浮き世の憂さを知らないような笑顔に満ちた老紳士となり、ようやく朝飯を済ませたところへ、早くも入ってきたのはあのギドウだった。
読者、私は彼をギドウと呼ばず、むしろ魏奴とあだ名しても、まだ足りないほど憎く思う。
魏奴め、昨夜よりもなれなれしく、
「いや、朝っぱらからおじゃまいたしまして相済みませんが、」とほほ笑みながら口を開き、「伯爵夫人に言い付けられて来ないわけに行かなくて、実に、これを見ると、男は美人の奴隷ですよ。」
「そうですね、奴隷の中にまた私のように美人を恐れる変わり者も居ますのさ。」
「今朝は全く伯爵夫人の使いとして参ったのです。夫人の申しますには」と言いかけたのを私はさまたげ、
「ああ、すでに昨夜のうちに貴方は夫人に会ったと見えますね。」
魏奴め少し赤面して、
「はい、何、わずか五分ばかりです。」と言い訳のように言うのは、さすがに、気がとがめるものと思われる。彼は六ヶ月の後に婚礼を上げる事はすでに私に向かって披露しているところだが、その相手がハピョの未亡人だとはまだうち明けていない。何時、何の時、どのようにしてうち明けるつもりなのか、私は密かに怪しんでいる。
「所で、貴方のお言いつけを詳しく夫人に申しましたところ、夫人はあつくお礼を申してくれとのことで、それにしても、一応、貴方から、夫人の所にお尋ねくださり、いったんお近づきになったその上でなければ、頂くのも余りに失礼になるから、とにかく、どうかお連れ申して来てくれと、こう、夫人は申しました。」
「なるほど、これがもっともな作法だと私も思います。そうでしょう、ね、伯爵。とすれば、何時、貴方は夫人の所へお出でくださりましょう。夫人はなるべく、面会を謝絶していますが、貴方のためには規則を破ると申しております。貴方はロウマナイ家の古くからの友達なので特別だと言いました。」
私は少しも喜ばない顔色で
「いや、そうまで言われるのは有り難いとは思いますが、なにしろ、まだ当分おたずね申すと言うことはできません。まあ、何と言って断ったらよいか。社交界の言葉には一向苦手なな私ですから、貴方の口からなんとでも、角の立たないように断って頂きましょう。」
「え、え、貴方は本当に貴婦人の招きを断るのですか。しかも、特別の招きを」
「はい、私はご覧の通りわがままな老人ですから、貴婦人のためでも、美人のためでも、自分の気持ち曲げることはできません。それに、当分のところは、いろいろな用事がありますから、用事が済んだ後ならともかく、それまでは仕方がありません。どうも、貴婦人のごく丁寧な回りくどい言い回しを聞くと、私などはぶっつけの返事しかできないのですぐ、頭痛がしてきます。」
ギドウはおかしさに耐えられないというように声を出し
「おお、伯爵、貴方は本当に奇人です。心底から美人を憎むと見えますね。」
「なに、憎むというのは強すぎます。憎むにも嫌うにも足りない。つまり、度外に置くべき商品だと思っています。実にそうですよ、たとえてみれば、美人はまずきれいな紙に包んだ、荷物のようなものです。」
「人は包み紙のきれいなのに目がくらんですぐ自分で背負い込みますが、きれいな包み紙はすぐしわくちゃになり、破れてしまい、後に残るのは荷物の重さばかりです。女は随分重い荷物で、生涯捨てるにも捨てられず、、末にはその重さに耐えられず、自分が押しつけられて、頭が上がらないようになる人も随分あるでは有りませんか。」
ギドウは苦々しげに、
「なるほど、そう言えばまず、そのようなものですけれど」
「いや、貴方は丁度美人を恋しがる年頃、私は美人にもう用のない老人。とうてい美人の議論では、意見が合うはずはありません。それよりは、意見の合う、絵画のことを話しましょう。そうそう、昨夜約束した通り、今日は貴方の住まいを訪問し、貴方の描いたものを見せて貰いましょう。勿論、おさしつかいないでしょうね。」
「いや、さしつかいどころか、是非とも、私からお願いするところです。が、それにしても」
「いや、幸い午後の3時と4時の間が、暇ですから、3時過ぎに上がります。その時間が良いでしょうね。」
「はい」
「しかし、貴方に見せてもらうだけではなく、ああ、あの夫人に贈る珠玉宝石の飾り物をここで貴方に見て頂きましょう。どうです。」
ギドウは実際見たそうな顔で、
「はい、見せて頂きましょうか」と言う。
私は立って戸棚から、前にパレルモで作らせた宝飾品の箱を取り出してきて、これをギドウの前のテーブルに置き、蓋を開けてみると、中から燦然として現れたのは、これカルメロネリの宝物。その余りの美しさには、私でさえも驚くばかりだった。
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