巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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      椿説 花あやめ     

作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

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          一 太郎と次郎  

 何千年の昔から血統連綿と続いて居る貴族の家でも、盛衰と言う事は免れぬ。若しも当主に馬鹿な放蕩な人が出れば、莫大な領地でも抵当と為って竟(つい)には人手に渡りもする。又不幸にして子が無いとか縁類が死に絶えるとかすれば、家名も財産も亡びてしまう。

 ここに説き出す英国の子爵蔵戸(くらど)家が、一頃は殆どその一例と為り掛けて居た。屋敷も領地も同族中で羨まれるほど立派で、家名は古く財産は多く、長い間栄えに栄えて居たが、不幸にも三代ほど馬鹿な主人が続いて、殆ど一家を零落淵に沈め掛けた。

 所が幸いにも、その後を継いだ、今の当主正因(まさより)と言う方が、余ほど心の確かな、そうして知識にも人情にも富んだ人で、自分の代と為るや否や、乱れた一家の財政を整理して、家名も昔よりも高くすることに一心を傾け、五十五歳と言う今年まで、卅年の間、殆ど必死に働き続けた。

 その為に数代抵当と為って居た屋敷地面も、悉(ことごと)く浮いて出て、その上に昔無かった鉱山や森林なども手に入り、先祖よりも裕福に立ち戻って、同族からも羨まれる境遇とは成った。

 けれど唯一つ、この蔵戸子爵の残念に思うのは、自分が生涯を唯だ一家の内事に打ち委ねて、広く社会の舞台に踏み出す事が出来なかった一事である。この蔵戸家は随分英雄を出した家で、先祖の中には貴族院で大雄弁を揮(ふる)った人も有る。三軍を指揮した将軍も有る。国家の休戚(きゅうせき)《浮沈》を双肩に擔(にな)うと言われた大政治家も有る。

 自分としても、若し家の事に煩(わずらわ)される事が無かったならば、二ケ国や三ヶ国の勲章は胸間に輝いて居る者をと、時には愚痴と功名心とが動くことも有るけれど、今はもう出遅れてしまって仕方が無い。

 その代わり、自分の息子二人には、この身が丹精に積み上げたこの莫大な財産を踏み台とさせて、立派に社会へ打って出させ、貴族の評判が少し落ち掛けた、この英国の社会へ、再び貴族の花を咲かさなければ成らないと、この様に思って居る。

 実際この子爵には、長を太郎、次を次郎と言う二人の息子がある。妻は早く死んだけれど、太郎と次郎を継子(ままこ)と為らせるのが可愛そうなので、後妻(のちぞい)をも娶らず、十八年も独身を守って来た。勿論死ぬ迄もそれを守るのだ。

 真に太郎次郎がこの子爵の望みの綱である。何しても二人を貴族社会の達者(たてもの)にまで、成り上がらせなければ成らないとの決心で、早くイートンの中学からオックスフォードの大学にまで入れたが、二人は顔形が貴族的に立派なのみで無く、心も知恵も、父の見込みに背(そむ)かないほど、深く天から恵まれて居た。

 今から二年前に、兄は二十二歳、弟は廿歳で、共に立派に卒業した。けれど大学の卒業だけでは満足せず、是れからは活きた社会の形勢にも通じなければ成らないと、当人も言い父子爵も賛成して、すでに世界周遊の旅に上らせた。

 それが済んで帰りさえすれば、兄は直ちに外務省へ、弟は貴族的政治団体の副首領にと、早や当てはめる口まで出来て、子爵は嬉しさの波を胸に打たせて待って居る。

 所がその帰るのがもう間も無い。二人は欧州大陸から東洋へ、東洋から米国(アメリカ)へ渡り、米国で政治や商工業の大掛かりな仕組みをも十分に視察し終わり、愈々(いよいよ)ニューヨークからプリンス号と言う郵船に乗り、故郷へ向けて立つと言って来たのが、ツイ数日前である。

 そうしてそのプリンス号がニューヨークを出帆したのが六月の十八日、今日は同じ月の廿九日で有るので、通例ならば、昨日か今日リバプールへ着く筈である。先日来、引き続いて天気も穏やかな上に、新造で堅牢と快速を兼ねたと言われる船だから、今にもリバプールから懐かしい電報が来るに違いない。

 父御は、今まで満二年の間を、そうまでも待ち遠しいとも思わなかったのに、一日か二日と言う今に成って、急に待ち兼ねる様な気がして、朝から幾度と無く、縁側に出て、又玄関の所に行き、
 『まだ新聞は来ないか。郵便は、電信は。』
などと下僕に聞き、殆ど落ち着く場所の無い様に見えて居たが、遂に耐え兼ねて、下僕の一人を捕らえ、

 『電信局から郵便局へ廻り、当家へ宛てた一切の配達物を受け取って来い。』
と命じた。

 この家へ都からタイムズが届くのは、通例午後である。今は十二時前だから、届かないのに不思議は無いが、唯父御は待ち遠しい。親しく下僕の出て行くのを見た上で、初めて自分の居間に帰り、毎(いつも)は十一時に飲むべき茶が、テーブルの上に冷めて居るのを飲み干し、胸を撫でたが、この所へ静かに歩み入って来たのは、子爵と略(ほぼ)似寄った年頃の、品ある老婦人である。

 この婦人も非常に心配そうに、
 「ねえ子爵、私は両三夜、引き続いて夢見が悪いので、気に掛かって成りませんよ。」
 子爵は少し嘲(あざけ)る口調で、

 『又夢の話ですか。夢などが何の当てに成りましょう。』
 老婦人『でも私の夢は屹度(きっと)当たりますよ。この前にも歯の抜けた夢を見たらーーーー。』
 子爵「翌朝入れ歯が飛び出して居たでしょう。ハハハ」
 老婦人「イエ、冗談では有りません。今度は二晩続けて同じ夢を見たのだから、屹度(きっと)太郎と次郎の身に何か事変が。」

 子爵「今日か明日帰って来る者へ、縁起でも無い事を言ってくださるな。」
 老婦人「でも陸の旅と違って海だから、船に何の様な間違いがーーー。」
 子爵「船に間違いの有るのは、それは貴女の夢ですよ。プリンス号に乗って居れば座敷に居るのも同じ事です。」

 老婦人「それほどプリンス号とやらが確かなら、昨日の中にも電報が来る筈です。」
 子爵「一日や二日は入港の遅れる事が有りますとも。夢の占いは御免ですよ。」
 寄せ付けないほどの挨拶に、老婦人は取り付く術も無く、

 「アレ、人の夢が、何の様な夢だか聞きもしないで。」
と呟(つぶや)きつつも、断念(あきら)めて退いたのは、家柄に相応な、非常に素直な質と見える。

 抑々(そもそも)この婦人は子爵の異母の姉君で、卅年前に葉井田何某と言う人へ縁付きしたが、所天(おっと)が死去せし為め、この家に帰り、それ以来、廿余年子爵を助けて、家政を預かって居る方である。

 今も葉井田夫人と呼ばれ、客分か掛かり人の様に、知らぬ人からは思われもするけれど、心栄(ば)えが誠実で、何人にも親切に行き渡るので、深く子爵からも敬(うやま)われ、相談相手とせられて居る。唯考えが少し古めかしく、動(やや)ともすれば夢などの事を説く為め、折には今の様に子爵に冷やかされる事は有るけれど、この家には無くては成らない人である。

 午後に及んで、先程の下僕が郵便物を受け取って帰って来た。その中にタイムズと言う新聞は有るけれど、電報は無い。子爵は少し不機嫌に、先ず新聞を開いて見たが、第一に目を射たのは、特に大活字で記した、
 「悲しむ可き惨事、プリンス号の沈没」
と言う文字である。



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