巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

kettounohate15

決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2019.1.26


下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

    決闘の果   ボアゴベ作  涙香小史 訳述

      第十五回 あれは本多だ

 大谷長寿は春村夫人に分かれてその玄関に出て来ると、如何(どう)したのか、小林康庵はここに居なかった。只門口に一輌の馬車が見えるので、さては待ち兼ねて自分の馬車に帰ったのかと、進み出て馬車を見ると、馭者がその上に眠れるだけで、康庵は影も見せない。
  
 「コレ馭者、主人は何うした。」
と揺り覚ますと、馭者は忽ち驚いて覚めて、
 「アア主人ですか。先程から貴方を待って居ましたが、待ち草臥(くたび)れて、今し方此の屋敷の横手へ行きました。」
 大「ハテな、此の屋敷の横手は、狐の出る様な空き地だが、散歩するとは物好きな男だ。」
と呟きながら、後を追い横手の方に捜しに行った。

 ここは是れ先年仏国(フランス)が独逸と戦争をした頃、陣営に当てた野原にして、その中程には当時物見の為に築上げた、小高い丘があるのみ。人の往来する所では無い。小林は何所に居るのだろうと、落ち残る月に透かして此方彼方を眺めたが、目に遮(さえぎ)る人影も無い。

 彼或いは草にその足を搦(から)められて、倒れたまま伏せって居るのでは無いか。それとも丘の麓で、煙草でも燻(くゆ)らせて居るかと、浮か浮か十間(18m)ばかり進み入ると、それか有らぬか夫人の家の垣根に凭(もた)れ、身動きもせず立ちすくんでいる人がある様に見えた。

 大谷の近づくのを見て、その人も又垣根を離れ、手を揚げて大谷を招く様子あり。更にその傍に寄って行くと、果たして是れ小林である。
 「君は此の様な所で何をして居るのだ。巡査にでも見つかれば、獲物を待つ追剥(おいはぎ)と間違えられるぜ。」

 小林は非常に驚いた様子で、
 「その様な冗談を言って居る時では無い。実に非常の事が有るよ。先ず静かに仕たまえ。静かに。」
 大「非常の事とは何事だ。」
 小「僕が話しても君は信じ無いだろうが、全体此の垣は誰の家を囲んで居るものだい。」

 大「変な事を問うでは無いか。是は春村夫人の後ろ庭を取り巻いて居るのサ。」
 小「それでは彼所(あそこ)に裏門の様な潜りが有るだろう。アレ彼所に。」
 大「ウム有る有る。分かって居る。」
 小「アレを潜れば何所へ行くのだ。」

 大「君は色々の事を問うでは無いか。あれを潜れば今言った通り、春村夫人の裏庭へ入るのサ。しかしもう久しく錠を卸(おろ)したままで、誰も出入りをする者は無い。既に昨年の暮れも僕が裏庭へ出た時に見て、今でも覚えて居るが、内から葛が塀一面に掻き上って、アノ戸などは殆ど見えない位だ。」

 小「ハテな益々合点が行かないぞ。」
 大「ナニがその様に合点が行かない。」
 小「イヤ唯だ今、アノ戸を開いて忍び込んだ奴が有るからサ。」
 大「ナニあの戸を開いて忍び込んだ。その様な事が有る者か。」
 小「イヤ有るから合点が行かないのだ。僕はこうしてそ奴の出て来るのを待って居るが。」

 大「待って居ても仕方が無い。若し泥坊なら!」
 小「ナニ泥坊では無い。立派な紳士だ。しかも我々の当の敵(かたき)だ。」
 大「君の言う事は益々分からないでは無いか。当の敵などとその様な者は一人も無いよ。」

 小「イヤ無い事は無い。君は本多満麿を敵とは思わないか。」
 大「ナニ、本多満麿、彼奴ならば既に桑柳を殺したから、最も憎むべき敵サ。」
 小「サア敵だろう。その敵、即ち本多満麿が、あの潜り戸の中へ忍び込んだから不思議だと言うのだ。」

  この言葉には大谷も驚いて、
  「ナニ、本多満麿がアノ裏庭へ忍び込んだと。その様な事が有る者か。君の目が何うかしているのでは無いか。」
 小「僕の目は爽やかだ。決して間違いは無い。それもネ、僕は余り君の出て来るのが遅いから、退屈して馬車に帰り、その窓から方々を眺めて居たのだ。

 スルと紳士の風をした男が、何所(いづく)から来たのか、夫人の家を一寸覗いてスタスタこの方へ来るから、僕は知らない顔で見送って居た所が、その男は此の草原へ曲がる角で、誰か我後を尾(つ)けて来る奴が有りはしないかと振り向いて、後ろを見たが、その時瓦斯(ガス)燈の光が顔一杯に映ったから、僕は確かにその顔を見た。

 所が思いも寄らぬ本多満麿サ。実に君不思議では無いか。満麿が夫人の家の裏庭へ忍び入るとは。」
 大「成る程奇妙だ。しかし事柄に間違いは無いのか。」
 小「何うして間違いが有る者か。僕は怪しく思ったから、直ぐ様馬車を飛び降りてここへ来て、番ををして居るのだもの。」

 大「それでは捨てて置く事は出来ない。真実本多満麿が、夫人の家に入り込んだに違いないから、僕は直ぐに引き返して夫人に知らせて遣る。」
と言いつつ、早や立ち去ろうとした。



次(第十六回)へ

a:399 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花