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kettounohate18

決闘の果(はて)(三友社 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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   決闘の果   ボア・ゴベイ 作  涙香小史 訳述
         

     第十八回 象牙の机

 小林康庵は彼の倉場嬢と共にやがて競売場(せりば)に到り、見ると我が目指した油絵は早や売れた後なので、何か手軽な品物を嬢に買え与えて帰ろうと、其所此所に列ねてある品物を眺めるうち、競売台(せりうりだい)の蔭に佇立(たたず)む一人の紳士が忽ち小林の目に留まった。此の紳士は誰れあろう決闘の相手である本多満麿の介添人を勤めた、彼の古山禮三である。

 木弾を込めたのもこの古山の仕業である。古山は日頃骨董の類を愛する事は無く、絶えて競売場(せりば)に来た事の無い男なのに、今日に限って此所に佇立むのは何の爲だろう。如何なる品を買おうとするのだろう。
  
 小林は秘かにその挙動に目を附けようと、小声で嬢に向かい、
  「ここには何も見る者は無い。入口の方へ引き返そうでは無いか。」
と言ったが、嬢は目に留まる者が有ると見え、
 「イエ私の欲しい品物が有るんですよ。貴方が若し詰まらないと思うなら、入口に待って居らっしゃい。私はその品物を篤(とく)と検めて行きますから。」

 小「好し好し、それでは競売台(せりうりだい)の右手の椅子に腰掛けて待って居るから。」
とこう言って此方(こなた)の空き椅子に腰を掛け、古山の様子を見ると、彼徒に慰みの為め来た者とも見えない。何か買おうとする品が有って、その品の呼び上げられるのを待って居るものの様だ。

 暫くする中に嬢は又小林の傍に来て、
 「篤と見て来ましたが、悉皆(すっかり)気に入りました。貴方買って頂戴よ。」
 小「買っては遣るが品物は何だ。」
 嬢「アレ彼(あ)の隅に在る象牙の机です。私の友達がアノ通りなのを持って居ますから、私もぜひ一個(ひとつ)欲しいと思います。」
      
 象牙の机ならば、それほど大金を費やさなくても、買い取ることは容易なので、小林は安心して、
 「アー彼(あ)れ位の品なら三個四個(みつよつ)買って遣っても小遣い銭を無くしはしない。」
と云いながら更にその机の拵(こしらえ)を見ると、長く使っていた者と見え、脚(あし)などは修復を加えた所も有り、競売(せりうり)の相場では、十五圓以下の品である。

 小「買っては遣るが、アノ品ならばまだ一時間も経たなければ呼び上げには成らないだろうから、それまで待つのも退屈だ。何所か一回りして来ようか。」
 嬢「ナニ一時間は造作も有りません。それに貴方は呼び上げ人を知って居ると見え、唯今挨拶をして居たでは有りませんか。アノ品を早く呼び上げる様に頼んで下さい。」

 小「もっと金目の品ならば頼みもするが、故々(わざわざ)頼むほどの代物でも無い。」
と語り合う中、彼の古山禮造も、己が目指している品物の呼び上げを催促する爲と見え、呼上人の許に進み、一口二口細語(ささや)くと見えたるが、呼上人は頷(うなず)いて小使いに向かい、
 「ソレ其所(そこ)にある象牙の机を持って来い。」
と命じた。

 小林は心の中で、
 「オヤ古山もアノ机に目を附けて居るのかナ。美術心の無い奴は只だ象牙とさえ言えば細工の巧拙に構わないから困るテ。しかしそれにしても彼奴がアノ様な品を買うとは実に奇妙だ。若し抽斗(ひきだし)の中に何か大切な品物でもーーーイヤそうでは無い。アノ通り抽斗を抜いて見せて居る。ハテナ。」
と怪しむうちに早や呼び上げた。

 呼上人「サアサア是は細工人の名こそ無いが、或る貴族の寵愛した品物で、象牙ばかり潰(つぶ)しても、その値打ちは分かって居る。」
と言って更に様々に功能を延べるうち、誰か、
 「七圓」
と値を附ける者があった。

 呼「サア七圓、タッタ七圓とは安い者です。七圓や八圓なら私が買って置きます。安い者だ。安い者だ。」
 誰かが又
 「八圓」
と叫ぶ。
 呼「サアもう少しです。八圓まで上りました。潰しにしても十五圓は動きません。」

 この時古山禮造の声がして
 「十圓」
と聞こえたので、小林は飛び立って、彼奴が所望する品とあれば、我は如何ほどの大金を擲(なげう)っても、買い取らなければ成らない。充分に決心して、
 「二十圓」
と声を上げた。

 この声に古山は小林がここに居る事を知り、認められては都合悪いと思ったか、傍らに居る古道具屋に耳打ちしたのは、我に代わって値を附け呉れと、頼んだ者に違いない。そう頼んで己は台の陰に身を隠した。古道具屋は商売の道として、この様な事の掛け引きに賢く、一銭でも値の良い方へ落とすことを心掛けているので、敢えて無暗な値を附けない。

 唯小林の附け値に十銭を加え、
 「二十圓と零十銭」
 と叫んだ。小林は僅か十銭の増値で買取ろうとするその心を憎いと思ったので、大喝一声に、
 「三十銭」
と呼ぶ声に応じて、古道具屋は三十圓と零十銭と呼び返した。

 小林は益々怒り、
 「五十圓」
 古道具屋「五十圓と零十銭」
 小「七十圓」
 古「七十圓と零十銭」
 小「百圓」
 
 百圓の呼び声には古道具屋も驚いたのか、振り向いて彼の古山に相談する様子だったが、古山もまだ屈せずして、その上の値を附けよと命じたと見え、古道具屋は又声を上げ、
 「百圓と零々十銭」
 小「百三十圓」
 古「百三十圓と零十銭」
 小「百五十圓」
 古「百五十圓と零十銭」
と負けず劣らず競り上げる。

 この掛け声に、居合わす人々は大家の演説を聞く様に手を拍(う)って喝采するも有り、中には又十銭、十銭と刻みだす古道具屋の仕打ちを憎いと思うのか、声を上げて、
 「もう紳士に落として仕舞えと言うも有ったが、呼上人はこの様な競争が有ってこそ我が儲けになると思うので、中々に落とす景色は無く、
「サアサア百五十圓と零十銭まで上りました。安い者だ、安い者だ。」
と更に小林を促す。

 小林は考え深い男ではあるが、今と為っては引くにも引かれず、
 「二百圓」
 古「二百圓と零々十銭」
 小「二百五十圓」
 古「二百五十圓と零十銭」
 アアこの競売、何時果てるのか見えなかった。



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