巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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島の娘    (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

サー・ウォルター・ビサント作   黒岩涙香 訳  トシ 口語訳

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         (百十五) 危険の淵

 自分の身が立つまでは、お目に掛からないと言うのが梨英の決心らしい。更に手紙は次の様に続いた。
 「貴女は実に幸福な御身分ですが、私には心配で仕方が無い事が有ります。其れは都の空気が偽りに満ちて居る事で有ります。」

 実に都の空気は偽りに満ちて居る。網守子は今其の偽りに囲まれて、身の振り方も分からないほどに思って居る際である。
 「貴女の様な、誰にも羨まれる若い婦人には、取り分けて、何の様な偽りの網が、掛かろうとするかも知れません。」

 殆ど網守子の境遇を見抜いた様な言葉である。網守子は益々感動して読み続けた。
 「私の様な都の空気に慣れた者でさえ、実は偽りの網に罹(か)かり、身を滅ぼすほどに立ち至りました。其れを救って下さったのが貴女のお言葉であります。今は其の同じ偽りの網が、貴女の身に掛かかりはしないかと気遣います。」

 真に其の通りである。何うして梨英はここまで見抜くことが出来たので有ろう。実は怪しむに足りない。梨英は嘗(かつ)て此の部屋を尋ねた時、炉の上に、江南詩集が在るのを見ただけで無く、其の表紙裏に在った、尋常(ただ)ならない文句をも読んだ。彼が殆ど狂人の様に、此の部屋から立ち去ったのも、此の文句を見てからの事であった。
 其の後、彼の心には其のことだけが気に掛かり、何うかして網守子を、此の禍いから救う道は無いかと、寝ても醒めても此の心配に駆られて居るのだ。

 「出来る事なら、私が都に踏み留まり、貴女の影身に添って、偽りの危険に対して、貴女を守護したい程にも思いますけれど、自分が偽りに掛かる様な意気地無しで、何して人を保護する事が出来るだろうと思い直して、独り残念に思うのも度々です。

 今は当分都に帰る事も出来ないだろうと思うため、心配の余りこの様に申し上げます。何うぞ貴女は、御自分へ最も親切らしく見える人を、最も危険であると思い、何も彼も十分に見定めた上で無ければ、何人の如何なる請いにも、承諾を与えない様にして下さい。誠に無理な、辻褄の合わない様な申し分では有りますけれど、私は唯誠心を以って貴女の為に申すのです。」

 網守子は読み終わって全く涙を催した。ここまで自分の為を思うて呉れる者を、何うにかして都へ呼び返さなければならない。其の居所は?其の居所は?若し蛭田江南が知って居なければ、他に知る人は無い。今まで江南の素へ行く用事は有っても、躊躇して居たが、今は何はともあれ、躊躇しては居られないと、愈々江南を訪(と)う事になったのは、自分から危険の淵に接近する様な者では無いだろうか。


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