巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

yukihime38

雪姫

作者 バアサ・エム・クレイ女史 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳

since 2023.11.7

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         第三十八回‎ 「枕の下に小さい箱が」

 今まで清子が、下林の妻である事を隠し、隠しに隠したのは、彼の詐欺に対する正当な防衛とも云うべき者である。誰が之を悪いと云うことが出来ようか。それで春川は熱心に、

 「どうしてそれが、悪事であるものですか、女の身分を重んずる女なら、隠さなければなりません。一口に隠すと云えば、悪しき事の様に聞こえますけれど、貴女の場合では、隠したのでは無く、身を防いだのです。

 若し貴女が隠す事が出来なかったなら、それこそ自分で、盗人の妻と云う事を、承諾する事に当たりますから、身をも名誉をも汚すのです。

 貴女がそれを防ぐが為に、何れほど苦心し、とりわけ十年の上も身を守って、艱難と云う艱難を嘗め尽くしたのは、到底(とて)も他の婦人には真似も出来ない所です。真に貴女の行いは、女の手本とも云うべきです。」

と深く嘆服の意を延べて、更に独り語の様に、
 「なるほど、是だけの秘密が有れば、私をお断り成さったのも当然です。」
と言い足した。

 清子は我が行いが、この様にまで納得せられ、賞賛せられたことは嬉しいけれど、今は歓(よろこ)びなどすべき時では無い。単に、
 「では是から、彼の許(もと)まで連れて行って下されましょうか。」

 春川も多言を費やさず、唯だ、
 「ハイ」
と答え、手を取って、此の林を更に奥の方に進んで行けば、硝子戸の欠けた窓から、薄暗い明かりが差し込む、番小屋の前に出た。

 春「是れです。」
と云う中に、足音を聞き、中から出て来る男は、同じ山番の一人で、今まで下林を介抱して居た者と思われるが、ホッと息をして、

 「オオ何方(どなた)かお出で下さらなければ、私は飯を食いに帰る事も出来ず、女房と交替しようと思っても、迎いに行く事さえ出来ません。直ぐに女房を寄越しますから、少しの間何うかお見張りを願います。」
と云う。

 春「併(しか)し、怪我人は、」
 春「ハイ、未だ息を引き取りません。お医者の言葉では、夜の六時までは持たないと云いましたが、もう六時を疾(と)うに過ぎ、十一時になりましたけれど、まだ生きて居ます。何だか彼は、思い残す事があって、死に切れないと見えます。

 段々声は細りますけれど、矢張り戯言(たわごと)の様に、許してくれなどと云っていますよ。」
 
 このように云って、そのまま逃げる様に立ち去るのは、若し躊躇する間に、用事でも命ぜられ、引き留められてはならならないとの用心に違いない。

 二人は番人の去るのを、勿怪(もっけ)の幸いと、入れ違いに中に入ると、燈火下に横たわっている怪我人は、気配を覚ってか、目を見開き、二人の顔を熟々(つくづく)と眺めて、

 「オオ清子さん、春川さん、好く来て下さった。」
 云う声も虫の息で、その上その顔には、全く死相が現れて来て居て、今まで好くも生きている事よと、怪しまれる許かりである。

 此の憐れな様を見て、清子は全く恨みを忘れ、
 「下林さん、心を安く持ちなさい。私はもう少しも、貴方を恨みませんから。」

 優しい言葉に彼は真実の歓びを現し、
 「本当に此の悪人の罪をお許し下さるか、貴方の口から、そのお言葉をさえ聞けば、オオ嬉しい、是で思い残す事はありません。喜んで死なれます。」

と云い、そのまま眼を閉じたので、扨(さ)ては早や死んでしまったかと、清子はは幾分の恐れを催し、訴える様に、春川の顔を見ると、彼も悲しそうな色を浮かべた。

 しかしながら、下林はまだ死んでは居ない。暫(しばら)くにして又目を開き、
 「清子さん、此の上のお願いがあります。枕の下に小さい箱が有りますから、私の首に掛けている鍵を以て、それを開き、中に在る物を出して、私の胸へお載せ下さい。」

 異様な願いだなと不思議に思いつつ、枕の下を探がすと、時計を入れる様な、非常に古びた箱があった。言葉の通り、彼れの首にある鍵を取り、之を開くと、中には朽ちた花弁(はなびら)かと思われるものが数片あった。

 「是ですか。」
と問うのに対し、
 「ハイ、それです。それは婚礼の時に、貴女のお手から貰った、時計草の花弁(はなびら)です。十年此の方、是を貴女の遺留(かたみ)の様に思い、牢の中でも肌身離さずに持って居ました。

 看守に幾度も、改められましたけれど、少しも害に成らない品ですので、取り上げられず済みました。此の花を再び貴女のお手で胸へお載せ下されば、貴女の恵みに濕(うるお)ったまま、私は此の世を去ります。生きているより、その方がどれほど嬉しいか分かりません。」

 清子は憐れみの涙を漸(ようや)く堪(こら)えながら、その言葉の通りにすると、彼は更に恋しさに我慢が出来ない様に、手を差し延べたのは、臨終の際に、切(せめ)ては清子の手を握り度(た)く思ったのに違いない。

 その心は明らかであるが、清子は流石に応じられず、少しの間躊躇(ちゅうちょ)したが、春川はそれと察し、自ら清子の手を取って、彼の手に握らせた。すると彼れの力無い全身に、嬉しさが満ち渡ったと見え、電気が通った様に波打った。

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