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島の娘 (扶桑堂 発行より)(転載禁止)
サー・ウォルター・ビサント作 黒岩涙香 訳 トシ 口語訳
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(百四) 終に水涸れの様に
「父親が此の通り、身代限り《破産》をして、二銭の縄で首を縊(くく)り、一家が分散した者ですから、添子嬢も何処へ行ったか、姿を隠して了(しま)った。しかし翌年、私は或る地方へ行き、芝居を見ました所、何うでしょう、添子嬢が、女優に成って舞台へ出て居るでは有りませんか。
勿論姿は変わって居ますけれど、私は一目で其れと知りました。其れから数日の後に、私は其の添子が、蛭田江南と共に丁度人の聞くのを厭(いと)う様に、密々(ひそひそ)と話しながら、其の土地の公園の片隅を散歩しているのを見受け、扨(さ)ては江南の世話で女優と為ったので、二人の間に秘密の関係が続いて居ると知りました。
それから今度逢って見ると、初鳥未亡人と名乗り、貴女の付き添い人に成って居るのでしょう。全体誰が世話したかと聞き合わせて見ると、江南が谷川弁護士に推薦したのだと分かりました。是で見ると、初鳥未亡人と名乗るのも怪しい者です。矢張り江南が、世話をしなければ成らない様な関係が有るので、其れで彼が推薦した者としか思われません。
其の江南が貴女の良人(夫)と為ると聞けば、私は内々貴女へ初鳥夫人の事だけを、注意せずには居られ無いでは有りませんか。何しても貴女は、成るたけ早く初鳥夫人を解庸《解雇》するのが好いでしょう。」
成るほど真実に親切な忠告である。
是で漸(ようや)く夫人の言葉は、水涸れの様に止んだ。網守子は初めて口を開く機会を得、
「唐崎夫人、貴女の御親切は誠に有難く存じます。江南の小説に就いての秘密は、決して私の口を洩れませんから御安心為さって下さい。次に初鳥添子の事も、今伺って一々驚きましたが、私も腑に落ちない所が有りますので、成るべく早く解傭《解雇》しましょう。けれど貴女の祝辞だけは、御受けする訳に行きません。」
夫人「アレ、早や喧嘩したのですか。若い者は気が早くて困る。宜しい、其の様な仲を直すのは、私が妙を得ていますから、何にも言わずに、私へお任せなさい。」
成るほど、何処まで世話好きであるか、底が知れない。
網「イイエ、喧嘩でも仲違いでも有りません。私と蛭田江南とは、縁談などの出来るほど、親しくは無いのです。」
婦人は怪訝(けげん)な顔をして、
「でも江南と貴女とは、常に芝居でも公園でも、連れ立って居たでは有りませんか。」
「イイエ、あれは江南が私へ附き纏(まと)ったのです。約束でも無く、話も持たずに。」
唐「其れは意外です。」
網「そうして今朝、国民美術院へ私の後を追って来て、縁談の様な事を言いました。」
唐「あれ、国民美術院の中で縁談を、呆れた者だ。」
網「其れを私はキッパリと断りました。」
夫人は目を丸くして、
「では江南は、出来ない縁談を出来たなどと、此の私を欺いたのだ。甚(ひど)い、甚い。」
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